大判例

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函館地方裁判所 昭和34年(わ)93号 判決

被告人 児玉金蔵

昭一〇・七・五生 無職

主文

被告人を懲役二年に処する。

未決勾留日数中六十日を右本刑に算入する。

但しこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

押収してあるジヤツクナイフ一丁(昭和三四年領第五九号の検一)はこれを没収する。

本件公訴事実中、小木幸雄、神定光に対する各傷害の点につき被告人はいずれも無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は貧困のため北海道亀田郡亀田村桔梗小学校を第三学年でやめ、一時近隣の農家に奉公に入り、その後は林務署や土建会社の人夫等をしていたものであるが、

昭和三十四年三月三十日午後七時過頃友人の平沢鉄夫と共に同郡同村字石川二百五十七番地鈴木熊太郎方の婚礼を見に赴いたところ、同村桔梗部落の遊佐隆、山田英雄、小木幸雄、神定光他二名位も来合わせ、やがて同村下石川部落の駒井徳雄、佐藤正勝等四名、上石川部落の者数名も加り、同地の慣例で右鈴木方から祝儀の饗応を受けることゝなつて同家馬車小屋で酒を振舞われ、間もなく上石川部落の数名が帰り、次いで桔梗部落の者達もその場を立つた。ところが被告人等下石川部落の者達のうち駒井徳雄が酒が足りない等と騒ぎ出したゝめ、まだ附近にいた桔梗部落の者達はこれを聞き付け失礼だと憤慨し、山田英雄は右小屋に引き返して居合せた下石川部落の者全員の顔面を順次一、二回宛手拳で殴打し、その際被告人も顔面を殴られたり突かれたりして上歯門歯二本を欠損する等の傷害を受けるに至つた。被告人はその後間もなく午後八時三十分頃右上石川部落の者等と共に帰宅しようと考え、駒井の姿が見当らなかつたので、前記馬車小屋南側の堆肥場の上から「徳」と呼びかけたところ、同所から約五十米南方を単身帰途についていた駒井が「オーイ」と返事して引き返した来たが、折柄同所北方約五十米の道路上を自転車を押して帰りかけていた遊佐隆は右呼び声を自分等に対し喧嘩を売つたものと誤解し、走つて堆肥場の方に引き返し、同行していた神定光、小木幸雄もこれに続いた。被告人は駒井の来るのを待つて右堆肥場にいたところ、馬車小屋裏道路から堆肥場に駈け上つて来た遊佐から「まだやるのか」等と言いながら一回強く右眼下を殴られ同所に転倒し、その間神、小木の走り寄るのを認めたため、同所は暗く誰であるかは判然しなかつたが、桔梗部落の所者と判断し、先刻同人等の一人から暴行を受けて負傷したことも併せ考えこのまゝではどのような危害を加えられるかも知もないと感じ、突差に右遊佐の急迫不正の侵害から自己の身体を防衛する目的で着用のジヤンパーポケツトからジヤツクナイフ(昭和三四年領第五九号の検一)を取出し同人に立ち向つたが、防衛上必要な程度を超え、なおも手拳で顔面を殴りつけて来た右遊佐の腹部を右ナイフで一回強く突き刺しよつて同人に対し腹部刺創兼胃膵後腹膜損傷の傷害を与え、翌四月一日午前四時五十分頃函館市亀田町八十七番地沢口外科病院において右傷害による出血及び急性汎発性腹膜炎により死亡するに至しらめたものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は被告人の本件犯行は被告人が判示の如く堆肥場において遊佐隆に殴られたばかりでなく、神定光、小木幸雄の両名からも同時に殴られ且つ山田英雄が二尺余の棒を構えて附近で殴りかゝる様子を示していたため突嗟に判示ナイフを取り出して遊佐等の攻撃を防いだところ襲いかゝつて来た遊佐の腹部に右ナイフが突き刺つたものであつて正当防衛行為に該当する旨主張し、被告人も当公廷においてこれに添う供述をするので検討すると、証人神定光、同小木幸雄の各証言によれば、同人等は被告人の呼び声を喧嘩を売るものと考え走つて堆肥場に赴き同所で被告人を殴り付けたことは認められるが、同証言によれば同人等は同人等より先に走つて行つた遊佐が被告人と争うところを見ていないことも明らかであつて、右証言に証人駒井徳雄、同平田幸夫の各証言、当裁判所の検証調書を併せ考察すると、神は遊佐より若干遅れて堆肥場の下に到つたが同所で被告人に呼ばれ戻つて来た駒井徳雄と出会い同人の頭部を一回殴打し次いで同人から腰の辺をつかまれて同人を振り払つたりしたが、神よりやゝおくれて同所に馳けつけた小木が先に被告人に殴りかゝり次いで神も被告人に殴りかゝり被告人も前記ナイフを振つて抵抗したことが認められるから、右小木が被告人に殴りかゝるまでに既に被告人は遊佐に対し本件犯行をなし終つたと認めることができる。そして遊佐が引返した地点と堆肥場との距離は僅々五十米位に過ぎないのであるから、附近が暗く従つて余り早く走りえなかつたことを考慮しても本件犯行は極めて短時間のうちに敢行されたと認められ、しかも前示遊佐隆に対する各診断書によれば遊佐の創傷は深さ十糎以上の胃、膵臓を貫通する刺切創が一個あるのみであることに徴すれば右創傷は被告人が捜査官に対し供述する如く、ことさら遊佐に対し突き刺したものと認めるのが相当である。そして証人山田英雄の証言によれば同人は遊佐等と共に引き返し、途中から馬車小屋東側に廻り同小屋にあつた棒を持つて堆肥場に上つたがその際堆肥場の上では平田他二名位がいて別に格斗していなかつたことが認められるから右山田が棒を持つて堆肥場附近に来た際には被告人と小木、神との前記争いは終了したか、その直前頃であつたと認むべき蓋然性が強く、以上の諸点を綜合すれば被告人が遊佐を突き刺す前に小木、神からも殴られ且つ棒を持つた山田の姿を認めた旨、又遊佐の創傷は突き刺したものではない旨の被告人の供述は採用できない。しかし前掲証拠によれば被告人は判示のとおり駒井の来るのを待つていたところを暗やみから突然走り寄つた遊佐に転倒する程強く顔面を殴られたものであること、然もその後には二、三の者が続いていたこと、それらの者はいずれも先刻被告人等の友人である石川部落の者六名全員を殴り付け被告人自身も負傷するに至つた屈強な桔梗部落の者達と判断されたこと等の状況に照せば被告人が遊佐の急迫不正の侵害に対し身の危険を感じ突嗟に前示ナイフを取出し抵抗した行為は、防衛の意思を以てなされたものと認められるのであるが、前示の如く遊佐一人の素手による攻撃を受けたに過ぎないのにこれに対し言葉で威嚇する等のこともなく直ちに致死の結果を生ぜしめる程度の強い力を以てその腹部を突き刺した行為はその手段方法において相当性を欠き過剰防衛と謂うべきである。

(法令の適用)

法律に照する被告人の判示所為は刑法第二百五条第一項に該当するが過剰防衛行為であるので同法第三十六条第二項に則り同法第六十八条第三号に従い減軽した刑期範囲内で被告人を懲役二年に処し、同法第二十一条に則り未決勾留日数中六十日を右の刑に算入し、なお判示の如き犯行の動機経緯その他諸般の情状に鑑み刑の執行を猶予するを相当と認め同法第二十五条第一項に従いこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、押収してあるジヤツクナイフ一丁(昭和三四年領第五九号の検一)は本件犯行の供用物件であり被告人以外の者に属しないから同法第十九条第一項第二号第二項に則りこれを没収し、訴訟費用につき刑事訴訟法第百八十一条第一項但書を適用し全部被告人に負担させないこととする。

(本件公訴事実中無罪の部分の説示)

本件公訴事実中前記有罪の部分を除くその余の事実は、

被告人は判示遊佐隆の腹部を一回突き刺した後更に前示堆肥場において小木幸雄、神定光より手拳で顔面を数回殴打されたのに憤慨し前記ジヤツクナイフを以て右小木の右前胸部及び左側胸部を、右神の左手指をそれぞれ切り、右小木に対し加療約三週間を要する右前胸部切創兼左側胸部切創の、右神に対し全治約一週間を要する左中指切創の傷害を与えたものである。

と謂うのである。

よつて検討すると、前掲各証拠及び小木並びに神に対する医師沢口貞蔵作成の各診断書によれば被告人が前記日時場所において小木、神に対し前記の各創傷を負わせたことは明らかである。しかし既に説示したとおり、小木、神は遊佐の後を追つて堆肥場に駈け付け遊佐が同所より退いた後引続き被告人の顔面等を数回宛殴り付けたものであるところ、被告人は固より遊佐の負傷の程度を知らなかつたと解せられ、しかも引続き小木、神から攻撃を受けたのであるから被告人は依然遊佐がその場にあつて三名の者から取囲まれ暴行を受けたものと感じたとする被告人の当公廷の供述は措信するに足りる。(被告人が捜査当初より三名の者から同時に殴られたと供述するのもこのためと解せられる)そして判示のとおり被告人は遊佐の暴行を受けた際既に身の危険を感じこれを防衛するためナイフで抵抗を開始したと認められるのであるから右一連の経緯及び前記診断書によつて明らかなように右両名に対する創傷はいずれも切創であることを併せ考慮すれば、被告人は右両名の攻撃を受けた結果、遊佐の攻撃に加えて小木、神も同時に攻撃に加つたものと信じ益々身の危除を感じこれら急迫不正の侵害に対し自己の身体を防衛するためやむなく前記ナイフを振り廻して抵抗しその際前示各創傷を与えたものと認められる。尤も弁護人は更に被告人が棒を持つた山田の姿を認めたことをも右防衛行為の一要素として主張しその採用できないことは前示のとおりであるけれども、仮に被告人が山田の姿を認めたのが小木、神両名の攻撃の直前であつたとして、しかもこの点を除外して考慮しても前記の如き状況の下に、その発生した創傷の部位程度及びその行為の手段方法に照せば、被告人の小木、神に対する各行為は正当防衛行為として刑法第三十六条第一項に該当するものと認めるのが相当である。

よつて本件公訴事実中右小木、神両名に対する各傷害の点はいずれも刑事訴訟法第三百三十六条前段に則り被告人に対し無罪の言渡をなすべきものである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 永渕芳夫 千葉和郎 井野三郎)

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